会員登録がお済みでない方→新規会員登録
TOP > コラム
ショッピングモールTOP アウトレットモールTOP 見積コーナーTOP

コラム - 建築版温故知新(古きをたずねて新しきを知る)

日本住宅の歴史(前編)

現在では、建築の一分野として住宅を語ることに違和感はあまりありませんが、実は建築の世界で、一般人の住宅がテーマになるのは20世紀に入ってからのことです。それまでは住宅と言うよりは宮殿と呼ばれるような為政者のための邸宅のみが建築の対象となっていました。日本でも建築家が一般人の住宅を手掛けるようになるのは大正時代以降のことです。それまでは洋の東西を問わず、無名の工人たちによって住宅が建設される、「建築家なしの建築」時代が長く続きました。元々住宅は、人が集団を作るようになるとその集団の共同作業として作られることが多く、それらの集団から、建築に長じた工匠が生まれるといった経緯を辿ったものと考えられます。最近明らかになりつつある縄文時代の遺跡(例えば青森の三内丸山遺跡)などを見ると、指導的立場の専門職がいなければ、これだけのものは到底作り得ないという事が良く解ります。

青森の三内丸山遺跡

三内丸山遺跡(縄文時代、青森県)の大型竪穴式住居(復元)

日本の住宅の歴史は竪穴式住居から始まりますが、これは北方系の住居と言われており、後に農耕と共に南方系の高床式住居が加わります。竪穴式住居は必ずしも日本の風土にフィットしているとは言い難いものですが、実に数千年に渡って使われ続け、江戸時代でも仮設などの一部の用途で使用されました。高床式も元々穀物倉として用いられたようで、それが神への捧げものの意味に転化し神社の原型になります。登呂遺跡などで見られる高床式倉庫と、最も古い神社形式である伊勢神宮などの神明造りには多くの共通点を見出すことが出来ます。伊勢神宮は式年造替というシステムにより、今日でも千数百年以上前の極めて古い建築形式を伝えています。これらのことから室内は清浄でなくてはならないという精神構造が生まれ、外界での履物は室内に持ち込まないという習慣になったと理解することが出来ます。

伊勢神宮内宮

伊勢神宮内宮(三重県)最古の神社型式を伝える

仏教の伝来と前後して、仏教建築の技術が日本に入ってきます。柱の下の礎石や屋根の瓦などの技術はそれまでの日本にはありませんでした。高床式の住居はすでに為政者の住居形式となっていましたが、それに仏教建築の技術や中国式の思想が加わって平安時代の寝殿造が形成されました。当時の寝殿造はもう現存しませんので見ることは出来ませんが、現在の京都御所(明治初期の建設)は昔からの形式を踏襲していますし、仁和寺の金堂(国宝)は室町期の御所の遺構です。また厳島神社などいくつかの神社仏閣で平安時代の寝殿造りの形式を見ることが出来ます。もっとも当時の庶民の住居は竪穴式に毛の生えた程度の土間中心の住居だったと考えられます。鎌倉〜室町時代の京都洛中を描いた絵巻物でも網代の壁に藁葺きの屋根で、土間とムシロ敷き又はせいぜい板敷きの床といった住居が描かれています。当時の日本の一番先進的な街でさえこの程度ですから、地方は推して知るべしでしょう。

鎌倉から室町時代になると権力の座は貴族から武士に移りますが、その武士の住居も寝殿造を簡略化した形式を取り、徐々に書院造へと変化します。書院造の特徴の一つが床飾り(床・棚・書院・帳台構え)と呼ばれる床の間回りの様式です。完成型は二条城二の丸御殿や醍醐寺三宝院などで見ることができます。室町期は日本建築の様々なシステムが完成した時期でもあります。それまで座布団のような敷物だった畳が敷き詰めになったのも大工道具が出そろったのもこの時期です。現在見ることの出来る最古の住宅は兵庫県の箱木家住宅と考えられますが、これは室町時代の武士の屋敷なのに、床の間がありません。武士階級でも、地方ではまだ床飾りが普及していなかったことを表していると思われます。

箱木家住宅

箱木家住宅(室町時代、兵庫県、重要文化財)現存最古の住宅

この続きは次回に述べたいと思います。

 
  • カーサナビって何の会社?
  • メールマガジン
  • コラム
  • スタッフ紹介
  • スタッフブログ
SSL GMOグローバルサインのサイトシール