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コラム - 建築版温故知新(古きをたずねて新しきを知る)

塔の話(前編)

塔は正確には塔婆と言いますが、良く知られているものには三重塔や五重塔があります。それ以外にも多宝塔や大塔、石造では層塔(十三重塔など)や五輪塔・宝筺印塔なども塔婆の一種です。塔は本来は仏教寺院では最も重要な施設なのですが、現在では中心となる本堂などの付属物と考えられていることが多いのではないでしょうか?

仏教では釈迦の言葉によって、初期においては偶像崇拝が禁じられていました。インドに残る初期の仏教美術を見ると、お釈迦様がいるべき位置に釈迦の姿は無く、代わりに菩提樹や輪など釈迦を象徴するものが描かれているだけです。アレキサンダー大王の東征の後に、ギリシャ美術の影響を受けたガンダーラ地方で初めて釈迦の姿を模した像が作られました。これが仏像の原型です。この仏像がそれ以降信仰の対象となっていきますが、それまでに信仰する対象とされていたのが、お釈迦様の骨(仏舎利)だったのです。仏舎利を納めた土饅頭のような墓が信仰の対象となったのですが、これをストゥーパ(高く顕れるの意)といいます。後にこの土饅頭をいくつも重ねた形に発展し、仏教が中国に入ってから中国の建築技術でこの土饅頭を重ねたものを表現したものが塔だったわけです。ストゥーパを漢字で表したのが「卒塔婆」でこの言葉はそのまま現在でも墓に立てる板(上部が塔の形を模している)の名として御存知だと思います。卒塔婆が省略されて、塔婆又は塔となったようです。

日本の塔は三重でも五重でも、その上部に相輪という部分が必ず設置されています。相輪は上から水煙(装飾的な透かし彫)・九輪(九つの輪)・伏鉢(椀を伏せた形)・露盤(台座)の四部分で構成されますが、この内の伏鉢が当初の土饅頭(仏舎利を納めた)を模したものと考えられています。日本ではここに仏舎利を納めたわけではなく、相輪の真下の心柱の下に収めるケースが多かったようですが、いずれにしても、本来は塔が信仰の対象となるべきものだったわけです。日本に仏教が伝来した時点で、すでに仏像が信仰の対象になっていましたから、塔はどうしても脇役になっていますが、天に向かって聳える塔は、信仰心を高揚させる抜群の効果を持っていたことでしょう。

日本最古の木造塔婆 法隆寺五重塔

日本最古の木造塔婆
法隆寺五重塔

日本最大の木造塔婆 教王護国寺(東寺)五重塔

日本最大の木造塔婆
教王護国寺(東寺)五重塔

 

塔は日本における高層建築のはしりと言うことが出来ます。最大の塔である京都の東寺(教王護国寺)の五重塔は高さ51mでこれは17階建ての建物に匹敵します。よく五重塔は柔構造で地震に強く、昔の耐震建築だと言いますが、それは本当なのでしょうか? 塔などの建築技術は6世紀には日本に入っていたと考えられていますが、最古の五重塔である法隆寺五重塔は8世紀初の建立です。地震のあまり無い中国・朝鮮の建築技術が地震に対して万全だったとは考えにくいので、その間に幾多の試行錯誤が繰り返されたのではないでしょうか? ちなみに歴史書には神社仏閣の建物が、台風により倒壊したり、火事や雷で焼失したりする記述がたくさん出てきますが、塔が地震で倒壊したという記述はあまり見られません。いずれにしても、塔は工匠の技の結晶であり、柱・壁・屋根などが微妙なバランスで構成されているのを見ると感心せずにはいられません。三重塔や五重塔では、上層にいくにつれて巾が狭くなりますが、これでも分かる通り、全層を貫く通し柱がありません。心柱という存在は通し柱ではなく、バランスを取るための存在と考えた方が良い場合が多いのです。初層で考えると周囲の柱によって支えられる桁は庇の重さと二層以上の重さをバランスする支点の役目をします。あとは同様に徐々に上部の荷重と庇をバランスさせながら重ねて行くわけですが、最上層は庇の重さを丈夫に載せる相輪の重さでバランスさせます。足りない時は心柱を吊り下げる場合すらあります。もちろん、全体がこれだけで構成されている訳ではなく、内部の柱が上階の梁を支える部分もありますし、中には、筋交いのような斜材で荷重や水平力に対抗する例さえあります。日本建築では斜材の考え方というのはまれで、ここにも塔に注ぎこまれた技術を見る思いが致します。

字数が尽きたので今回はここまでにして、次回は各地の塔を御紹介しましょう。

 
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