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コラム - 建築版温故知新(古きをたずねて新しきを知る)

なぜ大工は「大工」か?(前編)

このコラムをお読み頂いている方々は建築関係の仕事をしている方が多いと思いますが、典型的な職種に「大工」という職業があります。何の不思議もなく大工という名前で呼んでいますが、そもそも何で「大工」なのか?と疑問に思ったことはありませんか? 今回は建築関係の職種、特に大工さんについて記してみたいと思います。

昨今は建設不況で、職人が足りないという話はあまり聞かなくなりましたが、同時にベテラン技能者の後継不足という事態は深刻さを増しています。そのため未熟練労働者の問題は潜在的に大きな問題になりつつあります。しかし、つい最近まで(少なくとも高度成長期の前半までは)日本の建築職人、特に木工職人(大工のこと)の技能レベルは世界一と言って良い水準でした。あまり知られていないかもしれませんが、江戸末期から明治時代にかけて、日本は何度もヨーロッパで開催された博覧会に出展しています。日本文化を紹介したことをきっかけにして、ヨーロッパにジャポニズム(日本趣味)ブームを巻き起こし、浮世絵に触発されたゴッホなどの画家や、アールヌーボーのガラス工芸作家エミール・ガレなどに影響を与えました。それらの出展の中には、現地に日本建築を建てるため、大工が出向いて作業したこともありました。当時その作業を見学したオーストリア(?)の皇帝は、大工の使うカンナから出てくる紙以上に薄いカンナくずを見て、魔術だと感嘆し、そのカンナくずを大事に懐にしまって持ち帰ったと言われています。我々にしてみれば、それほど不思議ではないことですが、当時の日本建築技術の水準が世界の中でどれほど素晴らしいものであったかが理解できます。それらは、室町時代に高度に発達した日本の木造建築技術が、江戸時代に広く地方や町方まで伝播して成熟を重ね、それが徒弟制度によって長期間維持されたことによるものと考えられるのです。

元々、大工は中世までは「番匠(ばんじょう)」又は「木工(こだくみ)」と呼ばれていました。これとは別に「大工(おおいたくみ又はだいく)」という名称があり、木工寮(こだくみのつかさ又はもくりょう=律令制で定められた役所で建設工事を担当した)などに所属する各技能職種の最高位の技術官の官名として使われました。従って、「大工」は番匠だけでなく、土工や瓦工や、建築に直接関係の無い技能職種にもいました。同様に次長にあたる官名で「少工(すないたくみ)」という位もありました。

ところが平安時代以降、徐々にですが、建物工事1件ごとの技術責任者を「大工」と呼ぶようになっていきます。設計者+現場所長のようなものですが、木造建築がほとんどであった当時としては当然のことながら、「大工」に番匠出身者が就任することが多く、そのために「大工」=番匠の意味に変わっていきました。江戸時代にはすでに建築木工職人を「大工」と呼ぶのが普通になっていました。

一方で、室町時代頃から「棟梁」という言葉が役名として出てきます。当初は「大工」を補佐する「少工」と同程度の位でしたが、そのうち(言葉の語源からか)「大工」と同じく、工事の技術責任者の意味で使われるようになります。元来は建物の最も高い所にある主要な構造材「むねばり」の意味ですが、それから転じて「源氏は武家の棟梁」というように、ある分野での実力者・統率者という意味で、既に広く使われている言葉でした。現在でも、ベテランの大工や親方の大工の尊称として「棟梁」と呼ぶのは、これに由来しています。

明治以降、総合建設業に進出した「大工」もいました。大手ゼネコンの中では、竹中工務店と清水建設の創業者が大工であることは良く知られています。竹中工務店は慶長年間に大工竹中藤兵衛により創業され、明治時代に末裔の竹中藤右衛門によって竹中工務店と改組されます。清水建設は江戸後期、大工清水喜助(初代)によって創業され、明治維新期に二代目喜助によって西洋建築を手がけるなど、建設業として確立していきます。土木系出身のゼネコンが多い中にあって、これら大工(建築)出身のゼネコンはその特色が良く出ているかもしれません。

そろそろ字数が尽きそうですので、今回はここまでにします。次回もこの続きを記したいと思います。次回は大工だけでなく、他の建築関係の職種についても触れたいと思いますので、御期待下さい。

 
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