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コラム - 建築版温故知新(古きをたずねて新しきを知る)

風水・家相の話(前編)

最近、風水がブームになっています。また、同類の家相も以前から良く知られています。関連する数多くの書物が出版されていますが、住宅の設計や施工をしている方々にとっては、ある意味で頭を悩ます事項の一つであることは間違いないでしょう。家相・風水は単なる迷信であるとする人もいますし、科学的な根拠があるとする人もいて、生産者も消費者も惑わされることが多いように思いますが、実際はどうなのでしょうか?

古代中国では土地の良悪を判断するために、一つの方法として東西南北に神を配置して、それぞれの条件に適合すると四神相応の地と尊ぶことをしました。四神とはすなわち、東の青竜(川の象徴で色は青)、西の白虎(大道の象徴で色は白)、南の朱雀(低地の象徴で色は赤)、北の玄武(丘陵の象徴で色は黒)の四神です。日本の平城京や平安京もこの考え方に基づいて作られています。朱雀門などの名称はここから来ていますし、東西南北を色で表す大相撲の庇の房(かつては屋根を支える柱の色ですが)もこれに依っています。

これは一種の民間伝承ですが、多分に中華思想の影響が見られます。この考え方は黄河中流域で生まれましたが、ここは自分たちだけが偉いという中華思想の強い中原の地で、自分たちの住む土地を肯定する意味合いが色濃く出ています。ちなみに中華思想で言う「北狄、南蛮、東夷、西戎」はそれぞれ東西南北の野蛮人という意味で、自分たち以外は皆野蛮人だということです。四神相応の地などの考え方は「風水」と総称されます。風水とは天から地への「気」の流れを「風」として、それが地に流れると「水」となるわけです。風水には大別して「地理」「陽宅」「陰宅」の3種があり、四神相応の地のように土地の良悪(黄河中流域に似ているか?)を判断するのは「地理」と呼びます。家相に相当するのが「陽宅」、「陰宅」は墓地の吉凶を判断するものです。これらは極めて現実的な生活の知恵的なものであったと考えられます。例えば、鬼門の方角は冬の寒風が吹き付ける方角で入口や便所(当然水洗ではない)を設置するのは不適当という内容を「凶」と表現してるわけです。

「鬼門」は民間伝承でのもう一つの重要な考え方になります。古代中国で信じられていたことに、東北の地の果てに巨大な桃の樹があり、そこに死んだ人々の魂(鬼)が集まるというものです。その入口に門がありそれを「鬼門」と称しました。なぜ東北なのかは諸説があって良く分かりませんが、寒冷の地(旧満州のイメージ)であるとか騎馬民族が攻めてくる方角などの説明がなされています。実は本家の中国や台湾では鬼門はあまり重要視されていません。あくまで様々な考え方の一部でしかなく、鬼門が日本ほど重要視されている国は他にありません。何故、日本でこれほど鬼門が大事にされているかというと、平安京造営に絡んだ政治的力関係が生んだ状況という説があります。桓武天皇が平安京を造営した大きな理由は、平城京では興福寺などの寺院が政治的に介入して混乱したからと言われています。平安京に遷都した後、南都六宗に代わる新しい仏教が必要でしたが、それが平安仏教と呼ばれる天台宗(最澄)と真言宗(空海)です。この二宗を優遇するため、空海には羅城門脇の都の入口を守護する重要な位置に東寺(教王護国寺)を開かせ、最澄には都の鬼門を守護するという位置の比叡山に延暦寺を開かせました。延暦寺はその後の仏教界において重要な意味を持つ寺院(その後新宗派を起こす法然、親鸞、日蓮らも延暦寺で学んだ)ですが、その重要性から鬼門の意味合いが強まったものと考えられます。

中国には、これらの民間伝承とは別に、易学という考え方があります。これは陰陽説と五行説という二つの原理を元にしています。陰陽説とは二元論を元にした考え方で、大極という宇宙がある時、陰と陽に二分し、それがさらに四分、そして八分して「八卦」と呼ばれるのです(大極→陰・陽→大陰・小陰・大陽・小陽→八卦:乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤)。八卦は正しくは「はっか」と読みますが、良く御存知の易者が行う「当たるも八卦、当たらぬも八卦」の八卦です。五行説は万物は木・火・土・金・水の五元素から出来ているとする原理で、これを元に五行相生説(木は火を生む、火は土を生む、他)と五行相克説(木は土に勝つ、火は金に勝つ、他)があり、物事の吉凶を判断します。易学は今日から見れば迷信に見えるかもしれませんが、当時の科学体系であって様々な考え方の根本原理として重視されました。先に紹介した風水や家相は民間伝承として成立していきましたが、これらの正当性を主張し理論武装するために易学と結びついていきます。インドから伝わった占星術も易学と結びつくことで、風水や家相と関連して大きな体系となりました。陰陽説と五行説を掛け合わせた「十干(甲乙丙丁戊己庚辛壬癸)」や占星術と五行説が結びついた「九星五行」などに発展していきました。

こうして成立した風水・家相は、大きく分けて生活の知恵の部分と社会的タブーを戒めた部分、そして単なる迷信の部分の3つが混在する状態になりました。当初の民間伝承の部分には今日で言う建築基準法的な当時の建築の知恵が詰まっていますし、成立した時期(礼に基づく治世が行われた古代中国の周の時代と考えられています)以降の社会的タブーが加わりました。さらに易学と結びついた時に、易学以外に根拠が無い迷信と言ってよいものが体系のすき間を埋めるように加えられたと考えられます。迷信では民間伝承の中に混ざった土着的迷信も含まれます。現在ではそれらがごちゃ混ぜになってしまっているため、冒頭の正反対の評価が生まれることになったのでしょう。字数がオーバーしましたので、次回は日本での経緯や家相の実際について説明します。

 
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