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コラム - 建築版温故知新(古きをたずねて新しきを知る)

風水・家相の話(中編)

風水・家相は易学の形で、推古天皇の時代に日本に入ってきました。当時は陰陽道と呼ばれ、暦を作る専門技術でもありました。西暦702年には大宝律令によって陰陽寮という役所が設けられ、暦の作成や宮中行事などにおける日柄や方位を占いました。その作業を陰陽寮で行ったのが陰陽師と呼ばれる人々で、土御門家などが陰陽道の技術を代々伝えていきました。日本一有名な陰陽師である安倍清明も陰陽寮に所属する役人(天文陰陽博士)であったわけです。安倍清明は狐の子という伝説を持っていますが、実在の人物で土御門家の祖でもあります。呪術に巧みで宮中の信頼を得たとされています。京都市上京区清明町の一条戻り橋に清明神社、大阪市阿倍野区に安倍清明神社があるのを見ても分かるように一流の陰陽師として認められていたようです。特に大阪の阿倍野区の名は安倍清明の領地があったところからついたと考えられ、この神社には第二次大戦中焼夷弾が落ちましたが不発でそこから開運で再び人気を得たとされます。

陰陽道は、室町時代までは一般民衆に広まっていたわけではありません。暦を除いて、あくまで貴族を中心とする為政者のためのものでした。それが江戸時代に、特に生活に密着した家相が大流行し、さらに明治時代を通じて広まっていきます。何故そうなったのか?そのきっかけになったのは豊臣秀次です。御存じの通り、豊臣秀吉の養子となって関白職を嗣いだ豊臣秀次は、跡継ぎ秀頼が生まれたため秀吉に疎まれ、あらぬ嫌疑で失脚させられます。関白は宮中の官職の頂点ですが、秀次が処刑された時に陰陽寮も連座して抹殺されてしまうのです。土御門家などが代々受け継いできた陰陽道の奥義が途絶えてしまったわけですが、権威が無くなった途端に、多少聞きかじった人々が、我こそは正統なりと言って雨後のタケノコのように登場してきたのです。江戸時代は木版印刷による出版が盛んで、日本は恐らく当時の世界一の出版大国でしょうが、これにより様々な流派の家相が広まったのです。江戸時代中期には特に裕福な豪商や豪農は自宅建設の際に家相図で検討することが普通になって、今日でも数多くの家相図が残されており、当時の住宅を研究する際の貴重な資料になっています。このころの各流派にはその基礎を八卦におくもの、九星五行におくもの、十干十二支におくもの、各地域の伝承や迷信におくものと様々でした。その状態は明治時代になり、太陽暦の採用で新しい暦が大量に出回ったとき、様々に体系化された家相が付け加わることでさらに混乱を呈する状態になりました。その結果が今日の数多くの流派が乱立した状態です。

こそれでは、具体的にどのように書かれているのでしょうか? 一部を紹介しましょう。中国の周代(紀元前11〜8世紀)に書かれたと考えられる黄帝宅経という家相の原典があります。黄帝は古代中国の伝説上の名君で紀元前28世紀頃の人物とされ、全てに万能だったとされますが、もちろん後年に権威付けのため付けられた命名でしょう。その黄帝宅経に「五虚五実」というのがあります。「宅に五虚あれば人をして貧耗せしむ。宅大にして人少なきは一の虚也。宅の門大にして内小さきは二の虚也。牆院(外構)完からざるは三の虚也。井竈おらざる(井戸カマドの位置が悪い)は四の虚也。宅の地多く、屋少なく、庭院広きは五の虚也」 大体この逆が「五実」ですが、これは前回述べた家相の3つの部分では社会的タブーの部分に当たります。身分相応な生活をしなさいという意味で、それなりに今日でも通用することです。

「艮(うしとら=北東)隅に浴屋ある事至って凶なり。坤(ひつじさる=南西)に浴屋あるも悪し。」(家相大全) これは鬼門や裏鬼門に浴室(不浄と考えられている)を設けてはいけないとするものです。強風で火災の危険性があったり、乾燥しにくいなどの理由があります。前回に紹介しました鬼門に入口や便所を設けないというのも同様ですし、これらに関連して「三所に三備を設けず」という定番があります。三所とは鬼門(北東)・五黄(中央)・裏鬼門(南西)のことで、五行説で「土」に相当して不浄を嫌い、家相上最も注意を要する場所です。三備とは便所・カマド・玄関(古くは井戸)のことで、三所に三備があると大凶とされます。五行説で説明されますが、元々は生活の知恵としての根拠があったと考えられます。

「建屋は、大概乾巽(いぬい・たつみ)は少し張るを吉として坤艮(ひつじさる・うしとら)は少しも欠張なきを吉とす。其余論多し、全体八方とも欠張なく正直なるを以て最上とす。」(家相秘伝集) 北西や南東が出るのは吉だが、北東や南西に凹凸があるのは凶ということです。これは鬼門や五行説で説明されますが、文中にもあるように凹凸については諸説があって様々な解釈があります。但し四角が最上というのはほぼ共通しており、これは構造やコストの面で納得のいくものですが、今日では凹凸は通風採光に有利であったり空間やデザインに変化を付けられるなど、忌み嫌うことではなくなっています。

「住宅の間数に吉凶あり。一間は吉、二間は無障、三間は凶、四間は凶、五間は吉、六間は吉、七間は吉、八間は凶、九間は吉とす。」(家相極秘伝) 家の間数を九星五行説などによる吉凶で示したものですが、迷信の部類にあるものと思われます。同様に畳の帖数で吉凶を述べる説もありますが、これも迷信の部類です。特にどの家相書でも四畳半は嫌われていますが、四帖は「木」、半帖は「金」で、金剋木で凶という説明や、千利休が四畳半の部屋で切腹したからという説などはいずれも無意味としか言いようがありません。しかし、現在では四畳半というスペースが使い難いものであることは間違いないと思います。

「間取りの吉凶、世俗相者の秘事として口伝まちまち也」(家相全書) 家相は様々で、流派により言っていることが異なるということを家相書自らが記しています。その原因は先程述べた通りですが、それではどうしていけばよいのでしょうか? 風水も含めて次回説明したいと思います。

 
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