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コラム - 建築版温故知新(古きをたずねて新しきを知る)

木の話(前編)

「木の話」と題しているのに、突然、石の話をします。ギリシャの首都アテネの小高い丘の上に、世界一有名?な遺跡「アクロポリス」があります。ギリシャ建築の典型として有名ですが、なぜあのような石の列柱が並ぶようなデザインなのか不思議に思われたことはありませんか? ローマ建築でも列柱はありますが、それはローマ建築がギリシャ建築を規範としたからであって、特別の理由があったからではありません。しかしギリシャでは理由があったのです。それは、元々ギリシャ建築は木造建築であって、柱と梁によるまぐさ構造と呼ばれる構造形式でした。日本の木造と基本的に変わりません。それが、神殿という永久的な建築を建設する際に、その構造形式のまま石造にすれば、曲げに弱い石では柱のスパンが大きく取れなかったと考えると非常に理解しやすくなります。だから、ギリシャ建築は列柱が並ぶのです。ローマ建築は石造の基本であるアーチの技術を開発していましたので、今日まで2000年も耐えるような石造建築を作るに至ったのです。

アクロポリス

アクロポリスのパルテノン神殿

そこで、木の技術とはどういうものなのでしょうか? 日本は木材資源に恵まれて、世界の中でも木造軸組構造を広く展開した有数の地域です。東南アジアも同様の地域に入れることが出来ますが、同じように木材資源に恵まれた北ヨーロッパなどでは別の発展をしました。地震が少なく、寒さの厳しい北ヨーロッパでは、日本のような開放的な軸組構法ではなく、ログハウスのような組積造や、木の柱の間に石や煉瓦を積んだ木骨造(ハーフティンバーなど)が発達しました。自然環境の違いから、異なる発達経路を辿らざるを得なかったのでしょう。良く西洋建築と日本建築の違いを「木の建築」と「石の建築」で代表させますが、そのような単純なものではなく、もっと入り組んだものであることは確かです。しかし、思い切り強引に言ってしまえば、「壁の建築」と「屋根と柱の建築」と言うことは可能かもしれません。壁の建築にとってはアーチ工法は生命線とも言える重要な技術で、ローマ時代以降に石の建築が本格的に展開していったとも言えるのです。

木の特徴は、既に御承知の通り、強度の割りに軽く(水に浮く)曲げに強く(梁などに最適)加工が容易と長所がいくつも挙げられますが、同様に腐りやすく火に弱いなどの欠点も持ち合わせています。木造技術の発達は、これらの長所を伸ばし、欠点を克服する歴史であった訳です。伊勢神宮が20年ごとに式年造替という遷宮を繰り返していることは御承知と思います。これは、神社形式が完成した弥生時代頃には、まだ礎石という技術が日本には無かったため、掘立柱の腐朽対策として定期的に建替えるしか方法が無かったと考えると理解しやすいと思います。礎石に代表される建築物の耐久性を増す技術は仏教建築の形で日本に入ってきますが、それ以降、神社にも適用され、多くの神社がそれまであった式年造替をやめてしまったのです。伊勢神宮だけが今でもその伝統を伝えているということです。ちなみに20年という期間は絶妙な期間で、掘立柱の耐用年数だけでは理由になりません。なぜなら、檜の柱は20年程度では腐朽せず、実際に遷宮後に取り壊された旧社殿が他の神社の本殿として転用されていると言われます。以前の熱田神宮の本宮は伊勢神宮の本殿をリユースしたものという説があるほどです。では20年というのはどこからきたかというと、個人的見解ですが、技術の伝承が大きな理由だと思います。人生50年の時代にあっては30年では世代が途切れてしまう恐れがあります。20年であれば確実に技術や作法を伝承できたのではないでしょうか。

伊勢神宮内宮

伊勢神宮内宮

伊勢神宮内宮(側面より)

伊勢神宮内宮(側面より)

 

日本書紀に面白い記述があります。素戔鳴尊(スサノオノミコト)が「この国には舟が必要だろう」と言って、ヒゲを抜いて撒くと杉が生え、同じく胸毛が檜、尻の毛がマキノキ、眉毛が楠になりました。そこで尊は杉と楠は舟に、檜は宮殿に、マキノキは棺に使うように教えたという説話です。これは当時の日本人の木に対する知識を述べたものと考えられ、古事記などの記述や出土品とも概ね一致するのです。この段階で既に檜が建築に適していると言うことは知られていて、多くの建築物が檜で建設されています。なぜ檜は建材として適しているのでしょうか? 大きく言って二つの理由があります。まず耐久性に富むことが挙げられます。檜の名は「火の木」が語源とする説もあるほど樹脂を多量に含み、燃えやすい代わりに非常に耐久性に優れています。一説には樹齢と同じぐらい持つと言われ、湿度の高い日本においては宮殿や社寺などの恒久建築に欠かせないものとなったのは当然と言えます。二つ目には、針葉樹の特徴として木目が真っ直ぐで加工がしやすいことです。現在では薄い板を作ることは容易な事ですが、当時は縦引き鋸や台鉋もありません。まず、木にノミで穴をあけ、そこに楔を挿して木を裂いてから、釿(チョウナ)と釶(ヤリガンナ)で仕上げるしかありませんでした。奈良時代などの建築が近くで見ると異様に大きく感じるのは、部材の加工技術が十分でなく、薄い材などが出来なかった事も理由の一つです。ちなみに縦引き鋸や台鉋が日本に入ってくるのは室町時代になってからです。

字数が尽きましたので、今回はここまでにします。

 
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