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コラム - 建築版温故知新(古きをたずねて新しきを知る)

フランク・ロイド・ライトについて(後編)

前編・中編に続き、今回はF・L・ライトの晩年について述べたいと思います。

ライトの思想で有名なのはオーガニック・アーキテクチュア(有機的建築)と呼ばれるものです。「建築は自然と共存しなければならず、人間もまた自然の一部だ」と主張した内容を見ても、デザインを規制するよりも、ライトのデザイン能力をフルに発揮させる余地を残したものと言えます。プレーリースタイルや東海岸のエスニック調の住宅なども、その一端なのですが、これらの考え方が花開いたのが「第2期黄金時代」です。「不毛、失われた時代」が、充電期間とか「有効な休暇」と呼ばれるのも、第2期黄金時代の成功があるからに他なりません。日本からの帰国後もタリアセンを中心に細々と活動していたライトは、ある時、弟子の父親カウフマン氏から別荘の設計を依頼されます。ピッツバーグから車で数時間も走った大自然の真ん中の、2000エーカーもの敷地のどこに建てようかと迷う施主に、ライトが「どこに座りたいのか?」と訊ねると、施主は滝の落口の岩を指差したといいます。そこに建てられたのが名作カウフマン邸1936(別名:落水荘)です。カウフマン氏が指差した岩は、現在でもこの住宅の暖炉前の椅子となっています。

創造性と独創性に溢れ、見るものを驚嘆させずにはおかないカウフマン邸の成功は、四半世紀以上に及ぶ雌伏の時期に終止符を打ちました。すでに70歳に手が届こうという年齢のライトでしたが、充電期間に蓄積した様々なアイデアを実現するかの如く、堰を切ったように設計をこなしていきました。この時期の作品として有名なのが、ジョンソンワックス本社1939&研究所1949などですが、住宅作家としてのライトの面目躍如なのが、ユーソニアンハウスと呼ばれる一連の住宅作品です。先に述べたオーガニックアーキテクチュアを実践するようなフレキシビリティを持ったシステム式の住宅で、今日で言うプレハブ住宅と同じ発想です。工場生産されたパネルを現場で組み立てる工法で建設された廉価版の住宅は、それまでライトに住宅を依頼してきた裕福な層ではなく、一般的な中流階級以下の人々に向けたもので、ライトは「合衆国に生を享けた人々は、貧富の違いに関わりなく、豊かな住生活をする権利がある」と述べていますが、ここに端的に考え方が現れていると思います。

実は現在のプレハブ住宅の考え方は、前回に述べたワルター・グロピウスが1927年ドイツのシュトゥッツガルトに建てた、トロッケン・モンタージュ・バウ(乾式組立住宅の意)で示したものが最初と言われています。しかし、ライトとしてはその後塵を拝する積もりなどさらさらなく、ユーソニアンハウスは一つとして同じプランが無かったように、システム式の割には非常に多様な独創的なものでした。そのプランは、四角形を基調としたものや、六角形を基調としたものなど、様々で、空間構成もライトの得意とする多彩なものです。ポープ・レイ邸1939などが現存しており、そのデザインを実感する事が出来ます。後にワシントン郊外に移築されたこの住宅は、高さを低く抑えられた小規模住宅ですが、内部の天井や床のレベルが様々で多彩な事や、家具のしつらえなど、まさにライトだと納得させられるものです。

ポープ・レイ邸

ポープ・レイ邸

ポープ・レイ邸内部

ポープ・レイ邸内部

 

この頃からライトは設計活動と並行して、執筆活動も活発化させています。自伝だけはまだ不遇な時代の1932年に書かれていますが、それ以降、それまでの自分の設計活動を言葉で表現しようとするかの如く、これまでにも紹介したような考え方を次々と書いています。但し、ライトの書いたものも素晴らしいのですが、個人的には、その作品の方がライトという人を如実に物語っているように思えてなりません

結局、ライトは一つのスタイルに固執することなく、次々と斬新なデザインを発表し続けました。先に挙げたジョンソンワックス本社などでも、一見モダニズムのデザインの様でいて、キノコ型の柱が林立する独創的な内部空間を持っていたり、最晩年の傑作である、グッゲンハイム美術館1959では、整然としたニューヨークの街並みに、カタツムリを彷彿とさせる渦巻き型の巨大なオブジェを割り込ませたりしています。それはグロピウスやミースの晩年の設計作品が、それまでの自分の作品の範疇を超えるものではなかったのとは対照的と言っても良いでしょう。(特に、グロピウスの旧パンナムビル1963などは、今日ではただのオフィスビルです。)もっとも、中にはあまりに独創的過ぎて、とても通常の感覚では受け入れられないものもあったようです。実現はしていませんが、都市計画プランなども数多く発表していて、その一部は荒唐無稽としか言いようのないもの(個人的見解です)もあります。

グッゲンハイム美術館

グッゲンハイム美術館

グッゲンハイム美術館内部

グッゲンハイム美術館内部

 

ライトは1959年4月9日、91年の生涯を静かに閉じましたが、グッゲンハイム美術館もマリン郡庁舎1959も、その完成を見届ける事は出来ませんでした。ライトはその死後もそれらの問題作を世に問い、議論を巻き起こしました。例えば、グッゲンハイム美術館では、螺旋状のスロープの最上階へエレベータで昇り、斜路をぐるぐる下りながら作品を鑑賞するスタイルを採っていますが、斜路に立つ人には作品が斜めに見えるとか(実際はそんなことはありませんが)、引きが取れないとかの批判があったり、収蔵している美術品よりも建物そのものが芸術作品として目立っているなどとも言われました。ある意味で、死後もその天才ぶりを世に示し続けたということでしょうか。

最近、カウフマン邸の改修で、滝へのキャンチレバー部分が構造的に欠陥であり(持ち応えられなくなる恐れがある)、原因は構造設計者の意見に従わなかったライトのミスであると報じられています。この件では施主とももめたようで、ライトといえども失敗はしているようです。有名建築家は多かれ少なかれ、様々な逸話があり、前々回に紹介したロビー邸の家具を動かすなという逸話なども、同様のものです。しかし、ライトの生涯を辿ってみると、ライトはライト以外の何者でもない孤高の存在であるということを改めて感じます。ライトは信奉者の多い(恐らく一番多い)建築家ですし、そのデザインは日本人にも馴染みやすいものがあります。しかし我々は、単純に崇拝するのでなく、冷静に現代的視点でライトを再評価すべきであり、同時にそうしなければならない時なのかもしれません。

 
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